はじめに
カール・マルクスは言わずと知れたドイツの経済学者/哲学者です.マルキシズムという理論体系を築き上げ,歴史に(そして私たちの生きる社会に)莫大な影響を与えました.
そんなマルクスですが,数学がめちゃくちゃ苦手だったと言われます.幸いにも,彼の数学勉強ノートは『数学手稿』として現在に残っています.これは生前に公開されたものではなく,死後になって「あのマルクスの手になるものだから……」という感じで勝手に整理・出版されたものだそうです*1.内容は極限から始まり微分に至り,Maclaurin の定理あたりまであります.
というわけで,21世紀の教育を受けて後知恵的に微分積分を学んでいる身でマルクスにマウントを取っていこうと思います.手稿の全てを読む気力は今のところないので,マルクス数学のエッセンスが凝縮されている最初の数ページに限って紹介していきます.
付け加えておくと,ぼくはマルクスの著書だと『共産党宣言』あたりを数冊読んだ程度の人間で,マルキシズムは完全に門外漢です.歴史的に考えて彼の思想的巨大さには敬意を表しますが,彼の哲学に対してはフラットな立場にあります.この『数学手稿』に対しても,あまりマルキシズムのことを考えず虚心坦懐に臨みたいと思います.
0/0
微分を学ぶ人間にとって,ステージ1-1のクリボーに相当する厄介なやつが極限です.慣れてしまえばどうということないのですが*2.マルクスはまず,1次関数に対する考察から入ります*3.
独立変数がまで増し,従属変数がそれに応じてまで増すとしよう.
(中略)
がまで増すと,
したがって
いまかりに微分操作がおこなわれ,つまりわれわれがをまで減少させるとするならば,
;
したがって,
さらに,はがに変じたためでだけに変じたのだから,の方についても同じく
;
だから
はに変わることになる.
(太字部引用者)
見ての通り,マルクスは「限りなくに近づける」という操作を理解できず,「にしてしまう」方針を取っています.曰く,これは「差をとる操作を定立し,ついでこれをふたたび止揚」しているのだそうです*4.結局マルクスは,やたら回りくどい解説のすえ,
という一大公式にたどり着きます. その後,「という表現では,この表現が生じてきた起源やその意義は跡かたもなく消え失せているから,われわれはこれをで置きかえる」というかなり苦しい論法で
を得ます.
「という表現では,この表現が生じてきた起源やその意義は跡かたもなく消え失せている」というのは合っています.つまり,微分においてはどのようにに持っていかれるかが問題なのであって,へ実際に行き着いてしまうのは無意味です.にもかかわらず,行き着いてしまったあとで無理やりとするのはあまり筋のいいやり方とは言えないでしょう.
要するにマルクスは「限りなく近づける」という極限の気持ちが理解できてなかったみたいなのですが,彼はその辺の議論を「合理主義でことをわりきる……数学者たちの……気やすめ」「限りなく近づけるだけだ,というような逃げ口上」と一蹴し,以降を押し通していくことになります.
その後はを連呼しつつ,2次関数の微分を考え,Newton の流体力学にまで達します.この辺は時間があれば読んでみようと思います.
何をなすべきか
さて,私たちはこの手稿から何を学び取ればよいのでしょうか.手稿の訳者は前書きや注解でかなり頑張ってマルクスを弁護していますが,少なくとも「数学の教科書」的には学ぶことはないと思います.
一つ注目しておきたいのは,マルクスが微分の定義をで済ませているにも関わらず,以降はそれなりに真っ当な計算ができている点です.微分の概念はスッとお腹に入ってくるまではよくわからないものですが*5,形式上の計算自体はさほど難しくありません.が出てきたら条件反射のようにを引きずり下ろし,肩はとするという操作が手に染み付いている人も多いと思います.
もちろんそれでも当面は問題ないのかもしれません.しかし,微分の概念を真に理解しておくことも重要だと思います.マルクスのを呵呵と笑い飛ばせる人がどのくらいいるでしょうか.
概念の理解は苦しく,形式的な計算は易しいものです.この手稿をよすがにして,今一度自分が本当に「微分」の何たるかを理解しているのか問うてみたいですね.