高専生活を振り返って

通っていた高専を無事卒業したので,5 年間で印象に残ったことをトピックごとにまとめてみる.

 

授業

いろんな授業があったが,特に覚えているものをいくらか挙げてみる.

政治経済 (2 年)

名物教員の授業で,90 分間ひたすら喋るタイプのもの.話が面白かった.試験が厳しいと言われており,自分も 90 点台後半を取ったことはなかった.とはいえ簡単すぎるよりは難しすぎる方がよいと(個人的には)思う.

熱力学概論 (3 年)

融合学科ということで,情報系なのに熱力学が開講されていた.しかし中身は相当しっかりしていて,暗記にも計算にも偏重しない,教員の本気度を感じるものだった.これに限らず,融合系科目はどれも質の高いものが多かった.

計算科学 (3 年)

要するに数値計算法.内容はところどころ忘れてしまったが,有益な科目だった.冬休みに乱数生成法のレポートを本気で書いたら教員に褒めていただいたのはいい思い出.

制御工学 (4 年)

成績評価のウェイトが前期中間試験から順に 1:2:3:4 という変わった科目.大変だったが,自分としては珍しく入念に予習復習して臨んだこともあって好成績を取れた.

情報理論 (5 年)

プログラミングが苦手でネットワークコースに来た学生を迎え撃つ数学もりもり科目.最後の方は授業についていけている学生が自分くらいだった.試験は簡単だったが.

 

ここには書ききれないが,他にも面白かった授業,大変だった授業,つらかった授業など,多くある.世の高専生が言うように"虚無"の授業もないことはないが,そんな授業からも汲み取れる点は確かにあった*1

それなりに勉強したこともあり,卒業式では卒業生総代を務めさせてもらった上,優秀賞を頂いた.実は 5 年次だけ席次が 1 位でなく,三冠を飾れなかったのは残念ではあるが.

教員

卒研指導教員

この人に出会えたのは高専生活最大の収穫と言っていい.自分が 2 年生のときに着任した若い先生で,よく研究室で雑談した.ソシュール三島由紀夫から楕円曲線論に至るまで本当にいろんな話をしたし,これだけ広範に話題が合う相手は人生で初めてだったので感動した.

卒研をはじめとして,様々な場面で親切にしていただいた.思想 (ideology というより principle) のある人で,折に触れて有益な助言を受けた.真に尊敬できる恩師を得たことは幸運だったと思う.

数学教員 

1 年の基礎数学,3・4 年のゼミなどを担当していた先生.

特に,4 年の数学特別補習*2では,途中から授業を切る学生が続出した*3ので,実質マンツーマンで数学を見てもらった.

2 年次以降は学科が違ったこともあって授業以外での接点は少なかったが,何かと良くしていただいた.卒業式前日,挨拶に伺ったところ,記念にと高木貞治の『初等整数論講義』を譲ってくださった.大事にしたい.

 

そのほか,部活動の顧問や各学年の担任教員には大変お世話になった.

部活

シス研に入って色々やった.わりあい充実していたように思う.

当初は Web プログラミング系でやっていこうと考えていたので,Ruby on RailsPHP を触っていた.1 年のときには先輩のお誘いで Hack U へ参加し,Rails で Web アプリケーションを一から組んだ.後期中間試験そっちのけで Rails チュートリアルを終わらせたのはいい思い出.

その後,パソコン甲子園や JOI の本選出場を通じて,徐々に競技プログラミングの方に向いていった.3 年次ではプロコン競技部門に出場した.結果は伴わなかったが,あの手のゲームソルバを作るのはとても楽しかった.

4 年次以降は,受験勉強や音楽性の違いなどもあって若干足が遠のいた.とはいえ最後まで籍は置いていたし,たまにお節介というか老害ムーブもかましつつ,ちょくちょく関わりを持っていた.

 

シス研での活動を通じてたいへん多くの経験を積めたし,先輩方からもたくさん知見を頂いた.自分も部にいくらか貢献できていたらいいなと思う.優秀な後輩たちには今後ともぜひ頑張ってほしい.

進路

数年前からコツコツ勉強した甲斐あって無事第一志望の大学に合格し,4 月から東京で暮らすことになる.

個人的に,都会が苦手なこと,自分が極度に内気であること,初めての一人暮らしとなること,などなど不安要素が非常に多く,素直に新生活を喜べない状態にあるが,なんとか頑張っていきたい.

将来の不安についていろいろこぼしていたところ,指導教員から以下の言葉を頂いた.先生なりの励ましというかアドバイスだと思う.本当にありがたい.

どれほど悲しみで一杯でも,なにか気晴らしになるようなことに引き込まれたら,その間は幸せになれる.

(パンセ 断章 139 より)

おわりに:私の高専生活とは何だったのか

唐突だが,「うらら迷路帖」という漫画がある.かいつまんで説明すると,生き別れの母を探すために占いの街・迷路町に来た主人公・千矢が,占いの修行を通して成長していく話である.

個人的に,うらら迷路帖のキーワードは「成長」と「出会い」だと考えている.

千矢は当初,母を探すことだけを目的としており,「お母さんに会えないなら,この町にいる意味なんかない」と言い切る.

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(はりかも『うらら迷路帖 1』42 ページ,芳文社,2015 年)

しかし,作品を通じて占いの修行を続け,友人や先生との出会いもあり,終盤では「一番占*4になって,いつか自分の占いでお母さんを見つける」と新しい夢を語るまでになる.

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(はりかも『うらら迷路帖 6』68 ページ,芳文社,2018 年)

 

もう一つ,「出会い」について.うらら迷路帖には,才気煥発な少女・臣が途中から登場する.臣は優等生肌の紺と迷路町で出会い,競い合える相手を得たことを心から喜ぶ.

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(はりかも『うらら迷路帖 4』29 ページ,芳文社,2017 年)

 

翻るに,高専生活で真に得られた(得られる)ものも,また「成長」と「出会い」ではないかと考えている.

自分はプログラマになろうと思って高専に入ったが,高専での学びを通じて数学や情報科学を知り,研究職を志すに至った.高専という,良く言えば多様な,悪く言えば混沌とした環境にいたからこそ,様々な世界を垣間見,新しい目標を抱くことができた.

また,多くの教員や友人と出会い,たくさんのことを学び取れた.先述した通り,自分と話題が合う人間は中学校以前では一人もいなかったので,高専での出会いは新鮮だった.これは学生と教員の距離が近い高専ならではのことだと思う.加えて,学業や部活動で競い合える相手を得たのも,同じく新鮮な体験だった.

高専という組織は毀誉褒貶が激しい.卒業生や在学生が高専について語るとき,よく「高専の環境は素晴らしいが,黙って授業を受けているだけでは何も得られない.自分から動いて高専をフル活用するべきだ」と言われる.この人たちは高専の外に目を向け,外部のイベントなどに参加することに価値を見出している.

その姿勢を批判するつもりは毛頭ないが,自分はむしろ,高専の中での出会いや学びを強調したい.特に,学生と教員(それも,大学院を出た研究者)との距離が近いのは,高専の無二の長所である.後輩たちには是非,教員や優秀な学生との出会いを通して成長し,新しい目標を見つけてほしい.

*1:一例として,力学 II (3 年) を挙げておきたい.担当教員が若く,講義経験が少ないこともあって,どことなくギクシャク感の否めない授業だった.しかし,初回授業でスカラ量とベクトル量について説明したあと,「では,スカラと 1 次元ベクトルは何が違うんでしょうか.この辺の考え方を厳密化するとテンソル解析に繋がります.気になる人は調べてみてください」と話していたのが印象に残っている.高専ではどの授業もその道の研究者が教えるので,ときたま含蓄のある発言がポロッと出る.そういう部分を拾っていくことに楽しみがある.

*2:編入志望者向けの演習科目.

*3:単位が出ない,7 限目で出席がしんどい,などいろいろ理由があるっぽい.

*4:迷路町では占い師が実力によって十番占(見習い)から一番占まで分けられている.