社会科学/人文科学

近衛文麿が栄爵を拝辞した際の上奏文

近衛文麿は 1945 年 11 月 22 日付で爵位勲章を拝辞した.以下はその際の上奏文である. 全文を矢部貞治『近衛文麿 下』(1952 年) に依った.仮名遣いは同書に揃え,擡頭のみ闕字に改めた (読みづらいので). 誠恐誠惶頓首謹て言ふす昭和十二年臣 命を奉じて…

「人間宣言」の成立について

はじめに 本記事では,1946年1月1日に渙発された「新日本建設に関する詔書」(いわゆる人間宣言.以下,単に詔書とも呼ぶ)の成立過程について考察する. 詔書の成立には未だ不明な点も多く,研究書や論文の間で一致しない主張も散見される.本記事では,成立…

大正期貴族院の数理的分析

はじめに 大正時代は近代日本における議会政治の円熟期であった.明治維新に功ある元老の影響力が減少した一方,政友会・憲政党 (同志会) をはじめとする政党勢力が台頭した.初の本格的政党内閣を率いた原敬が活躍したのもこの時代である. 大正期の政治に…

第 4 次伊藤内閣の組閣に当たり原敬が西園寺公望へ宛てて送った書簡

入閣運動に相当力を入れている様子が見て取れる. 入閣時のポストとして陸海軍大臣を選択肢に挙げるなどかなり無理を言っているが,この 20 年ほどあと,ワシントン会議の首席全権として派遣された加藤友三郎海相に代わって首相の原が海軍省事務取扱を兼ねる…

ブハーリンの遺言について

ブハーリンはソ連共産党の著名なイデオローグであり,ロシア革命を経てスターリンにより粛清されるまで党を代表する理論家であり続けた.レーニンは遺書においてブハーリンを「党の寵児」と表現している*1. 政治的には,ブハーリンは党内右派*2であった.ス…

『成功による眩惑』――スターリン農業集団化の一時停止を読む

はじめに よく知られている通り,スターリンは 1920 年代後半以降,農業集団化運動を推し進めた.ずさんな計画に基づいて強引に推進された集団化は強権的な農民徴発を伴い,大規模な反対に遭う. 1930 年 3 月,スターリンは "Dizzy with Success" という論…

「害する」と「損なう」

以下の質問を見て考えた. hinative.com 当該ページには「主客の違いである(要約)」という回答がついているが,これは正しくないと思われる.「過労で健康を害した」「不用意な発言で感情を損なう」はどちらも正しい(共に明鏡国語辞典第二版). つづめて言…

「晩年のエジョフが妻を粛清した」という誤解について

そもそも ニコライ・エジョフ(Nikolai Yezhov)はソ連の政治家です.スターリンが大粛清を行った時期(1937年前後)に NKVD(内務人民委員部)のトップとして絶大な権力を握り,大粛清の実行役を務めました. 彼は大粛清の暗鬱で陰惨なイメージと常にセット…