田舎で育つということ

田舎で育ってから大都市に行った人間は,好むと好まざるとにかかわらず,田舎での過去をアイデンティティ (あるいは呪詛) の一部として抱えることになる.

中国山地沿いの小さい町を出て東大へ進学した私は,同級生の文化的素養の深さに驚かされた.彼らは数学と物理学について卓越した知識を持つ,のみならず,音楽とか美術とか何かしらの一芸を持っており,その人格と識見には尊敬すべきものがあった.

大学の教室で本を読んでいたとき,学科の友人に書名を聞かれて,E. H. カーの『危機の二十年』だと答えたら,「ああ,あの有名な」と返されて,心底驚いたことがある.E. H. カーは■■市では全く有名ではなかった.私が■■市で過ごしていた頃,E. H. カーとか小林秀雄の話ができる相手は,歴史学の教員を除いては全くいなかった.私がいた学校には,「もう勉強したくないから」という不思議な理由で入学してきた人がたくさんいた.こうした環境で学術と文化への興味を保つには,非自明な努力を要する.

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私がかつて大学の学祭でおこなった展示には,信じられないほど進んだ知識を持つ小中学生がたくさんやってきた.彼らが持っていたような知識を私がようやく身につけたのは,17 歳かそこらになってからだった.私が山間部の中学校で連立方程式を学んでいたとき,中学受験を経た同い年の人たちは微分積分を学んでいた.私が図形の相似を学んでいたとき,彼らは微分方程式を学んでいた.そしてその違いは,私と彼らの知的能力が著しく隔たっていたからではなく,私が田舎に住んでいて彼らが東京に住んでいたから,生じていたのだ.

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■■駅から半径 50 km 以内には数学書を売っている書店は一つもない.一般向けのサイエンティフィックな読み物とか高校数学の参考書は売っているのだが,齋藤線型代数は売っていない.あなたが■■市在住の高校生で,奇特にも線形代数を勉強したいと思ったら,齋藤線型代数の価格の 2 倍近い運賃を払って◯◯市まで出る必要がある *1

■■市には大学が一つしかない.私立の単科大学である.あなたが■■市在住の高校生で,実家から通える大学に進もうと思ったら,専攻は児童教育・社会福祉・栄養のいずれかに限られ,国立大学の 2 倍を超える学費を毎年支払うことになる.少し前,Twitter で「東京にはちょうどいい国立の総合大学がない」と嘆いている人を見たとき,なんという贅沢な悩みだろう,と思った.東京に住んでいる人は,実家から通える範囲で,ほとんど全ての専攻を選べる.

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田舎では,選択肢と可能性が絶望的に少ないので,学術への興味を持つこと自体まず容易でないし,その興味に沿って学ぶことはなおさら難しい.単に「田舎に生まれたから」という理由で,花開くべき才能をみすみす枯らしてしまった人が,どれほどたくさんいることか.

そして,幸運にもこの閉塞的な田舎をすり抜けて,大都市で文化と学術に触れることのできた若者は,ほとんどの場合,二度と地元に帰らない.培ったその知識を活かすべき場が田舎には少なすぎるからである.こうして田舎ではおよそ学術と縁のない人間のみが再生産される.

*1:もちろん今は通販があるのだが,特に数学書を買うときは,手に取って選ぶということが死活的に重要である.