近衛文麿が栄爵を拝辞した際の上奏文

近衛文麿は 1945 年 11 月 22 日付で爵位勲章を拝辞した.以下はその際の上奏文である.

全文を矢部貞治『近衛文麿 下』(1952 年) に依った.仮名遣いは同書に揃え,擡頭のみ闕字に改めた (読みづらいので).

誠恐誠惶頓首謹て言ふす
昭和十二年臣 命を奉じて始めて内閣を組織するや先づ日支両国の関係を調節して東亜安定の大計を樹立せんと欲す然るに何ぞ図らん組閣後一個月を出でずして盧溝橋事件の発生に遭へり 臣は力を尽して事件の拡大せざらんことを望みたるも、寸毫の効果なく禍乱は遂に全支に及び両国の間埋むべからざる溝渠を生ずるに至れり
昭和十五年再び組閣の大命を拝するや此時日米の関係漸く円満ならざるを見臣は両国相接近することに依りて太平洋の平和を維持し併せて日支の紛擾を解決せんことを期す 十六年春開始せられたる日米国交調整の商議は臣が公的生活の一切を捧げて千段の努力を傾注したる所なり 然れども国内の政情は臣が画策志望の達成を許さず 遂に骸骨を闕下に乞い奉るの止むなきに至らしめたり 臣菲才微力にして所信を貫徹し邦家の難を救ふ能わず 至尊をして独り社稷を憂ひ給はしむるに至る爾来歴閣各尽瘁する所ありと雖国勢陵夷遂に千古拭ふ可らざるの汚辱に沈淪せり 臣が家歴世宏大の聖恩を辱うし臣が身に及ぶ臣俯仰感慨神明に対して晏如たる能はず茲に謹みて爵位勲章を奉還して涯りなき聖恩を拝謝せんと欲す
陛下海岳の量臣が至願を容れ賜はば幸甚誠恐誠惶頓首再拝して言ふす