大正期貴族院の数理的分析

はじめに

大正時代は近代日本における議会政治の円熟期であった.明治維新に功ある元老の影響力が減少した一方,政友会・憲政党 (同志会) をはじめとする政党勢力が台頭した.初の本格的政党内閣を率いた原敬が活躍したのもこの時代である.

大正期の政治に大きな役割を果たしたのは主に衆議院であったが,一方の貴族院が時流と完全に無関係であったわけではない.貴族院は,時には政党と対抗し,時には政党と妥協しつつ,議会政治に一定の役割を果たしてきた.

さて,戦前の議会の特徴として,(乱暴な言い方をすれば) 議員間の結束度が現代より弱かったことがよく挙げられる.特に貴族院には政党・党派が (公式には) 存在せず,議員間のつながりは衆議院以上に曖昧であると言われる.

一方で,貴族院議員が完全に独立して,めいめい好き勝手に動いていたわけでもない.研究会をはじめとする院内会派も存在し,ゆるやかながらも一定の議員コミュニティが形成されていたと言ってよい.そして,それらのコミュニティが,政治において大きな役割を果たしたことも確かである.原内閣が研究会と提携したことで,政友会の主導する法案が貴族院で可決されるようになったことは,その好例だろう.

この記事の目的は,貴族院内の関係性を数理的に分析することで,院内のマクロな勢力構造についての手がかりを得ることである.具体的には,貴族院議員の記名投票行動に着目し,議員同士のネットワークを作成した上で,そのネットワークに対してコミュニティ分析を行なう.

先に述べておくと,分析の結果は以下のようにまとめられる.

  • 大きく分けると院内には 4 つのグループがあり,それらは衆議院での対立構造をある程度反映していた.
  • 少なくとも投票行動に限れば,貴族院議員には強固な連携が見られた.
  • 官僚出身の勅選議員が高い媒介中心性を持ち,「ハブ」として機能していた.一方で,「ハブ」的な議員の数は多くはなく,コミュニティ間の繋がりは希薄だった.

総じて,貴族院においても強い党派性があり,政党政治がある意味で定着しつつあったことが結論された.

(注記 : この記事ははじめ 2022 年 12 月に公開した.諸事情により一時期ひっこめていたが,2023 年 9 月に再び公開した.)

手法

まず,帝国議会会議録検索システムで公開されている大正期の貴族院議事速記録の中から記名投票の結果を抜き出してテキスト化する.対象とする速記録中に,記名投票は 30 回あった.

こうして得たデータをもとに,議員のリストを作成する.簡単のために,それぞれの議員に ID を振る. b_i を,議員  i が記名投票に参加した回数とする (すなわち, 0 \le b_i \le 30) .議員ペア  (i, j) k 回目の投票における一致度を, i j が異なる投票をしている場合  0 とし,同じ投票をしている場合,

( i, j と同じ投票をした議員の総数) / (その回に投票した議員の総数)

と定める.ペア  (i, j) の一致度を全ての投票について足し上げて  b_j で割ったものを, (i, j) の一致度とする (これは一般に対称ではないことに注意) .

各議員を頂点とするグラフにおいて, (i, j) の一致度が  1.6 以上ならば  i から  j へ辺を張る.これを全ての  (i, j) の組について行なう.

以上によってグラフが構成できるので,あとはためつすがめつしてごちゃごちゃ言う.

コミュニティの分析

R の igraph を用いてグラフを読み込み,非連結成分を除いた上で Spinglass 法によってコミュニティを検出し,プロットしてみる.結果は下図のようになった (画像サイズが大きいので注意) .

貴族院議員の投票行動に基づくネットワーク


一見して,緑・青・黄色・オレンジの 4 コミュニティがあり,更に水色・薄黄色の小さなコミュニティがあることが分かる.

それぞれのコミュニティについて,少し立ち入って調べてみよう.

緑色のコミュニティ

緑色のコミュニティには,水野直,青木信光,千家尊福,板倉勝憲,大浦兼一 (兼武の子) などが属する.このコミュニティは,基本的には研究会系である.研究会は原内閣と提携するのだが,その閣僚だった高橋是清山本達雄はここには含まれていない.なお,山縣伊三郎 (有朋の子) が含まれることは注目に値するかもしれない.

画家として有名な黒田清輝,医学者として知られる北里柴三郎もここに入っている.(私は黒田と北里が貴族院議員だったことを今回初めて知った)

なお,コミュニティの人数は緑色が最大 (195 人) であった.研究会の勢力の強さが伺える.

黄色のコミュニティ

黄色のコミュニティでまず目につくのは,高橋是清山本達雄,水野錬太郎といった大物政治家である.高橋と山本は政友会員かつ原内閣の閣僚であり,高橋の隣にいる阿部浩や古賀廉造は原の引き立てで栄達した (とされている) 人物である.他にも,安楽兼道,岡野敬次郎,松岡康毅,石渡敏一など,親政友会の人物はほとんどこのコミュニティに所属している.貴族院における政友会派の結束の強さが表れている.

見逃せないのは,大正末期から昭和初期にかけて枢密院議長を務める倉富勇三郎がこのコミュニティにいることである.倉富は司法官僚出身で,政党勢力へのスタンスは否定的だったとされている.しかし,昭和金融恐慌に際しては,若槻内閣の緊急勅令案を否決した上で田中内閣に同情的な動きをしている.親政友会コミュニティに倉富がいるのは,こうした政友会寄りの姿勢の裏付けでもあると言える.

加えて,個人的に気になったのが,後藤新平もこのコミュニティにいることである.後藤は桂太郎に重用されて名を馳せたこともあり,どちらかといえば憲政党寄りの人物だと思っていたが,投票行動は政友会に近い.大正期の第二次山本内閣で後藤は政友会員と共に閣僚となっていることから,両者の関係は必ずしも敵対的なものではなかったのかもしれない.

青色のコミュニティ

グラフの中で屈指のごちゃごちゃ感を放つのが青色のコミュニティである.これはこのグループが結束していたからというより,グラフプロットアルゴリズムの都合である.そもそもこの規模のグラフをきれいにプロットすること自体容易ではないので,ある程度は仕方ない.

このグループの有名人は,加藤高明若槻礼次郎,中島久万吉,松方巌 (正義の子),井上準之助阪谷芳郎,木越安綱などだろう.内田正敏,山内長人,平野長祥といった名前もあり,反政友会・反研究会・親憲政党の色が強い.加えて,このコミュニティには男爵議員が多い.

このコミュニティは反政友会・反研究会であるが,人的な繋がりでは,親政友会のコミュニティ (黄色) と隣接している.研究会のコミュニティ (緑色) よりは政友会の方にまだ近かったと言える.

オレンジ色のコミュニティ

もっとも掴みどころがないと感じたのが,このオレンジ色のコミュニティである.ここには,田健治郎,石黒忠悳,一木喜徳郎,有地品之允などが含まれる.完全に印象論になるが (これまでもそうだったと言われればその通りだが……),枢密顧問官との重なりが多いように思われる.党派性は無色に近いと言ったところか.

緑・オレンジ・青の各コミュニティがそれぞれ党派を表していたことから,中道的なオレンジ色のコミュニティがそれらの間に入ってもよさそうなものだが,そうではなかった.

 

全体として見ると,衆議院における政党勢力 (政友会・憲政党) に加え,貴族院の一大勢力である研究会,そしてこれらのいずれにも属さない比較的少数の議員,という 4 つの勢力にグラフを分割できた.この事実は,政党の対立が貴族院にも持ち込まれていることを示していると言える.同時に,研究会が必ずしも親政友会一辺倒でなかったことも示唆している.先述の通り,研究会は原内閣と提携することになるのだが,それは政友会との一体化ではなかった.

更に,各コミュニティの内部では,かなり強固な結束が見られた.詳細は省くが,エッジを張る条件をかなり厳しくしたグラフにおいても,同様のコミュニティが形成されていた.この当時の貴族院では決議拘束主義 (党議拘束) を取る会派がいくつかあり,ある程度は当然の結果と言えるのだが,政党政治の定着を示す現象だろう.

中心性

グラフの各ノードの「重要性」を示す指標として,中心性と名の付くものがいくつかある.

その一つが媒介中心性である.あるノードが他の 2 ノード間の最短路中に含まれている度合いを定量化するのが媒介中心性である.大雑把にいえば,異なるコミュニティ同士をつなぐ「ハブ」のようなノードほど,媒介中心性が高い.

媒介中心性の高い順に議員を列挙すると,以下のようになった.カッコ内は大まかな属性や前職である.

  1. 山脇玄 (司法官僚)
  2. 海江田準一郎 (実業家)
  3. 由雄元太郎 (実業家)
  4. 鮫島武之助 (外務官僚)
  5. 伊沢多喜男 (内務官僚)
  6. 福原鐐二郎 (文部官僚)
  7. 和田彦次郎 (農商務官僚)
  8. 高田早苗 (教育家)
  9. 松岡康毅 (司法官僚)
  10. 加藤恒忠 (外務官僚)

実に 10 人中 7 人が官僚出身者である.官僚出身者は基本的に内閣の奏薦を経て勅選されることで貴族院議員となる.勅選議員は華族議員に比べて人数が少なかったのだが,媒介中心性の意味での影響力は非常に強かったことが伺える.更にいえば,勅選議員には財界人,学者,軍人などの出身もいたのだが,それらに比べて官僚出身者の影響力は際立っている.

 

中心性の指標としては,他に,次数中心性がある.これは単純に各ノードの次数を正規化したものである.次数中心性の高い順に議員を列挙すると,以下のようになった.

  1. 伊藤伝兵衛 (実業家)
  2. 荒川義太郎 (内務官僚)
  3. 千家尊福 (宗教家)
  4. 伊沢多喜男 (内務官僚)
  5. 二条正麿 (華族)
  6. 高谷豊之助 (実業家)
  7. 阪谷芳郎 (大蔵官僚)
  8. 千秋季隆 (宗教家)
  9. 藤村義朗 (実業家)
  10. 坂本俊篤 (海軍軍人)

こちらは男爵議員が多く,加えて,青色のコミュニティ (親憲政党) に所属していた議員が多い.端的には,親憲政党グループ (公正会) の結束の強さを表していると考えられる.

 

どういう嬉しさがあるのかよくわからないが,ついでに PageRank も計算してみた.PageRank は隣接行列の固有値に基づく中心性を表す.

  1. 松方巌
  2. 安川敬一郎
  3. 伊藤雋吉
  4. 伏見宣足
  5. 得能通昌
  6. 田中芳男
  7. 小池正直
  8. 中島治兵衛
  9. 浜口吉右衛門
  10. 高谷豊之助

(松方巌を除いて知っている名前がない…….)

 

なお,媒介中心性・次数中心性・PageRank のそれぞれで上位の議員にオーバーラップがほとんどないことに注意したい.議員と議員,グループとグループをつなぐ媒介中心性の高い議員と,集団的投票の中心に位置する次数中心性の高い議員は,互いに異なっていたことが分かる.

関連して,媒介中心性の分布は,次数分布に比べて大きく偏っていたことを指摘しておく.コミュニティ内では結束するので多くの議員は高い次数を持つが,コミュニティ間の繋がりが希薄だから「ハブ」的な議員が少ない,という結論がここから導かれる.官僚や華族の牙城,超然的な良識の府という印象の強い貴族院だが,大正期には党派の分化と結集が進み,政党政治が定着していたと言っていいのではないか.

おわりに

この記事では,大正期の貴族院について,投票行動をもとにグラフを作成し,数理的手法によって分析を加えた.

貴族院については日本史学における素晴らしい研究の蓄積がある.そのため,この記事で述べたことのほとんどは,過去に繰り返し指摘されてきた事実だろう.反面,そうした過去の研究は,私の知る限り,ミクロ的な (議員個人や会派に限定した) ものが大半だった.もう少しマクロ的な,全体像を見るための手法を考えたかった,というのがこの記事の動機である.その意味で,マクロ的な検討から,ミクロ的な観察と同じ結果が導かれたとしても,無意義ではないと考えている.

最後に,この記事で取った手法の課題を述べておきたい.まず,記名投票行動をベースにしたグラフが,院内の勢力を正確に再現できるとは限らない.議会が議決のための機関である以上,大きく的を外しているわけでもないだろうが,匿名投票や質疑に現れる関係性も考慮することが望ましいだろう.とはいえ,ある程度の量を確保でき,かつ明確に定量化できるデータとして,記名投票の結果くらいしか利用できなかった,というのが正直なところである.

さらに,グラフの作り方には相当な恣意性がある.辺を張る条件を「一致度が  1.6 以上であること」としたが,この  1.6 という数値の選び方に論理的な根拠があるかと言われると厳しい.加えて,議員間の縁戚関係を考慮する必要もあるだろうし (たとえば襲爵した華族議員の振る舞いは父親のそれと関係するはずである),明治期・昭和期の投票行動もデータとして使うべきだろう (貴族院でのキャリアが大正時代に収まる議員はほとんどいない).記名投票の対象となる審議も,議会内での細かい決め事から,予算や重要法案といった重要論点まで様々であり,重要度に応じて投票を重み付けすることも考えられる.一方で,こうして多くの情報を考慮すればするほど,結局は細かい歴史的事実に着目する必要が高まり,ミクロ的手法とマクロ的手法の悪いところ取りに陥ってしまうという危惧もないではない.