「晩年のエジョフが妻を粛清した」という誤解について

そもそも

ニコライ・エジョフ(Nikolai Yezhov)はソ連の政治家です.スターリン大粛清を行った時期(1937年前後)に NKVD(内務人民委員部)のトップとして絶大な権力を握り,大粛清の実行役を務めました.

彼は大粛清の暗鬱で陰惨なイメージと常にセットで語られます.1937~1938年はエジョフシチナ(エジョフ時代)と呼ばれ,嫌悪されています.しかしながら,大粛清の究極的な責任はあくまでスターリンにあることが研究を通してかなり明らかになってきています.

エジョフが言及されるときの頻出エピソードが,「晩年は疑心暗鬼が高まり自分の妻をも粛清した」というものです.たとえば,Wikipedia 日本語版には,

連日のように粛清を繰り返したエジョフは、晩年には疑心暗鬼となって側近や家族まで疑うようになり、自身の妻までも粛清している。

― ニコライ・エジョフ - Wikipedia 日本語版(閲覧:2019年8月2日)

とあります.しかしながら,「疑心暗鬼となって……自分の妻までも粛清している」というのはほとんど嘘です.にもかかわらず,「大粛清を実行した狂気の人間」というイメージとうまく合致するためか,(少なくとも日本のインターネットにおいては)かなり多く言及されています.この誤解を解くため,晩年のエジョフとその妻について記しておきます.なお,以下の記述はほぼサイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン―赤い皇帝と廷臣たち』に依拠しています.

いきさつ

先述した通り,エジョフは大粛清の実行役でした.しかしながら,1938年に入ったころ,「反動分子の摘発があまりにも雑すぎて国家運営に支障を来している」といった理由から,スターリンの不評を買うようになってきます.これには,そろそろ大粛清をやめたいと考えていたスターリンの意向や,エジョフの地位を狙っていたベリヤ(Lavrentiy Beria)の根回しも関係しています.

ともかく,エジョフは1938年中旬以降ほとんど失脚します.同時に,エジョフの妻であるエヴゲーニャ(Yevgenia Yezhova)もきわめて危険な地位に追い込まれました.エヴゲーニャは性的に奔放な女性で,ソ連の文学サロンに出入りしては男遊びを繰り返していました.ちなみに,彼女と性的関係のあった作家や詩人はこの後ほとんど死にます.

エヴゲーニャにはロンドン滞在の経験がありました.これを利用し,彼女をイギリスのスパイとして告発しようと策動したのが先述のベリヤです.エジョフはこの工作を知り,エヴゲーニャに離婚を申し出ました.注記しておきたいんですが,これはエジョフの利己的な考えから出た行動ではありません.当時,離婚によって夫婦セットでの粛清を避けるのは有効な防衛手段だったからです.

しかしながら,エヴゲーニャはこれらの政治的危機に耐えられず,精神を病んでいきます.妻を粛清の魔の手から守ろうとするエジョフの工作もあり,彼女はクリミアへ休養に出かけることとなります.このとき彼女がエジョフに書き送った手紙が残っています.

コリューシェンカ![引用者注:エジョフの愛称.「コーリャ」も同じ] ……私の心からの願いは……自分の人生の主人公でありたいということです。愛しいコーリャ! ……自分が犯してもいない罪の疑いをかけられては,到底生きていかれません……

エジョフの友人や秘書たちが続々と逮捕され,エジョフとエヴゲーニャにかけられた首縄が徐々に締まりつつあるなか,エヴゲーニャはうつ病の診断を受け,モスクワ近郊のサナトリウムに入院しました.彼女はスターリンに絶望的な調子の手紙を書きます.

私は生きる屍のような気持ちです.一体どうすればいいのでしょう?

しかし,スターリンからの返事はありませんでした.そうしているうちにも,エジョフとエヴゲーニャはどんどん危険な地位に追いやられていきます.政治局はエジョフの膝下であった NKVD について「きわめて重大な欠陥があった」と非難する決議を採択しました.

絶望したエヴゲーニャはついに自殺を決意し,エジョフに睡眠薬を送ってほしいと懇願します.エジョフは妻の頼みを聞き入れ,致死量の睡眠薬を病院に送り届けました.エヴゲーニャが睡眠薬を過剰摂取して昏睡に陥ったのは1938年11月19日,死去したのは11月21日のことです.

 

このエヴゲーニャの最期から分かることはなんでしょうか.

少なくとも,エジョフがエヴゲーニャを粛清したとは到底言えません.エジョフに「性的スキャンダルのつきまとう妻を生かしておくと自分の身も危うい」みたいな保身的考えが無かったと断言することはできません.しかし,エジョフが妻を explicit に粛清したと見ることは不可能です.生きる望みを失ったエヴゲーニャの頼みを聞き入れ,睡眠薬を送ったエジョフの行為は,優しさとか愛とかの表れでこそあれ,疑心暗鬼の発露ではないはずです.

由来

そもそも「晩年のエジョフが妻を粛清した」という情報はどこ由来なのでしょうか.先に引用した Wikipedia の記述にはソースが明記されていません.ちょっと謎です.1991年以前の史料が入手困難な時代にこういう推測がなされていたという可能性はありますね.とにかく気になるところです.どなたかご存知ありませんか.