ごちシコ概論#2(ごちシコが結果する迫害および罪悪感について)

はじめに

ココリゼ尊い~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前章では,ごちシコの基本的性格と意義について考察しました.ごちシコは美にして崇高なるものへと到達するための一つの方法である,というわけです.

ところが,前章の公開後,「尊いはずの行為であるごちシコがなぜ迫害されるのかについて詳しい説明が欲しい」とのコメントがありました.確かにその通りだと思います.

そこで本稿では,ごちシコ者に対する理不尽極まる迫害と,ごちシコ者が感じる罪悪感について論じ,それらを取り除こうと試みます.

 

概説

迫害も罪悪感による自虐的感情も,それが外から来るか内から発するかという違いこそあれ,本質的には同じものです.そこで,二つの事象を取り上げて個別に述べる前に,両事象に共通する点について明らかにしておく必要があります.

ごちシコはもちろんサクラメントですが,一般には,シコの外形を取ります.もっと言うとマスターベーションです.問題は,マスターベーションが往々にして不潔かつ忌むべきものとして扱われるという点にあります.もろもろの宗教(現在世界的に信仰されているアブラハムの宗教や仏教を含みます)は,禁欲,すなわちマスターベーションの自制を求めています.したがって,一見ただのマスターベーションに見えるごちシコは迫害され,またごちシコ者はごちシコという行為そのものに疑義を抱くことになります.

迫害について

迫害の原因の基本的なところは先に述べた通りです.すなわち,ごちシコのとる外形であるマスターベーションが,諸宗教および社会通念上好ましからざるものとみなされるため,ごちシコは迫害を受けるのです.

これは社会のごちシコに対する理解の欠如から生じていると言って差し支えありません.ごちシコの性格を明らかにすれば,快楽の追求を目的としてなされる自己完結的マスターベーションと,崇高なるものへの到達を追い求める高尚で文化的な行為たるごちシコとの違いは自ずとはっきりしてくるはずだからです.にも関わらずごちシコが迫害されるということは,ごちシコの目指すところが人々に十分周知されていないということです.

罪悪感について

書くの飽きた

 

おわりに

ごちうさ6巻がついに届きました.7億回シコったのでさすがに精根も尽き果てて,いまはひたすら東ローマ帝国の滅亡に思いを馳せています.