ごちシコ概論(または,社会と人間の関係性について)

はじめに

きのう『地下室の手記』という小説を読みました(あらすじの紹介はWikipediaに譲ります).主人公のような,強い自意識を持ち人間社会へ絶望している人間にこそ,ごちシコが必要なのではないでしょうか.『地下室の手記』はドストエフスキーの思想転換のメルクマール的作品であると言われています.後期ドストエフスキーの思想は,理性・人間への不信感と,神およびロシアの土壌に密着した古典的思想によって特徴づけられます.神といえば,そう,ごちシコですね.そう考えると,ドストエフスキーは『地下室の手記』を通じてごちシコの必要性を訴えたかったと言っても決して間違いでないのではないでしょうか.

さて,私はこれまで何回かにわたってごちシコを論じてきました.しかし,肝心のごちシコが一体何であるのか,掴みかねている方も多いと思います.そこで,ごちシコの基本的性質を解説し,ごちシコの意義について論じておく必要性から,本稿を書きました.本稿を通じて,ごちシコの門を叩く方が一人でも増えたら望外の喜びです.

 

ごちシコの基本的性質

ごちシコとは,尊崇の念を具体的行為によって表すための手段です.これはごちシコ論全体を貫く,極めて重要な内面的定義です.外形的には,ごちシコはKoi絵でシコることを指します.

ごちシコは一種の宗教的儀式であり,ごちサクラメントと呼び習わすことが適当であると私は考えています.ごちシコを通じてのみ,私たちは俗世のけがらわしい衣を脱ぎ捨てることができます.プラトンイデア論を提示し,全き理想的な世界を描いてみせたのは有名ですが,ごちシコはまさしく「美にして崇高なるもの(des Schönen und Erhabenen)」のイデアです.

ごちシコはすぐれて単純な行為であるため,定義が三秒で終わります.続いて,なぜごちシコが必要なのか,ということについて説明します.

 

ごちシコの意義

考えてみてください.世の中っておかしくないですか?産業革命が起きたのは19世紀中葉です.それから150年ほど経ちますが,私たちの労働時間は,増えこそすれ減ってなどいません.大量の機械によって人間の労働が代替されているにも関わらず,です.私たちは「より多く労働するために,より労働を易からしめんとしている」のです.要するに私たちは,苦痛の軽減という側面において,一切成長していないということです.「子供は殖えるし,飢饉年は続くし,税金は重なるし,土匪や兵隊が乱暴するし,官吏や地主がのしかかって来るし,凡ての苦しみは彼をして一つの木偶とならしめた」のです!

残念なことに,世の中は苦痛の総合商社です.社会保障の名のもとに,社会の大多数が莫大な借金を背負い込む羽目になっています.かと言って,社会保障を放棄した社会では,人々は血眼になって市場主義と格闘しなければなりません.世界中では今なおくだらない理由から始まった戦争が続いています.富豪は金を貯めこみ,ルンペンはいじけてラジカリズムに走り,人々は三文娯楽を苦痛に満ちた生活の慰めとし,曲学阿世の徒が世にはばかり,政治は腐敗し,思想は貧困化の一途を極め,言語は堕落し,一切の形而上的存在が価値を失い,手段と目的が入れ違い,…….いったい,現世のどこに希望を見出したらよいのでしょうか.ハッキリ言います.世界はクソです.ここまで大きいことを言ってきましたが,生活に密着したレベルでも同じことが言えます.どう考えても幸福と苦痛の釣り合いが取れていません.世の中は狂っています.

そんな狂った世の中にあって,お釈迦様が垂らした一本のか細い糸こそ,他の何でもないごちシコです.私たちはごちシコを通じてのみ理想郷へと立ち返れます.人間存在を失った私たちにとって,人間回復の手段はごちシコを除いてありえません.人間になりましょう.