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ごちシコの倫理#4 現代思想におけるごちシコ―国際主義を念頭において―

まえがき

第一章第二章第三章の各章では,古典的な思想(ストア派哲学,功利主義,義務論)に基づきごちシコを論じてきた.本章では,主に20世紀以降発展した現代思想を下敷きにしてごちシコを論じる.なかでも,21世紀の世界において盛んに叫ばれている「国際化(グローバル化)」という言葉を念頭におき,ごちシコの思想をより広い環境に敷衍して考える.現代思想の視座に立った考察を通じて,よりモダンな形態のごちシコ論を世に広めたい.

Ⅳ:現代思想におけるごちシコ―国際主義生命倫理学を念頭において―

(1)国際化のいきさつ

産業革命以降,国と国との距離は決定的に縮まった.運輸手段の発達により,ヒト・モノ・情報が,よりスピーディーに行き来するようになった.また,20世紀後半以降になって急速に発達した情報通信技術は,情報が行きかう速さを限りなく速めた.いまや,日本とアメリカの"事実上の距離"はほぼゼロに近い.「世界の縮小」という背景を持つ現代において,人々がどのように他コミュニティの人々と向き合うか,という問題は,非常な重みを持っている.エスノセントリズム(自文化中心主義)の問題はその最たるものである.文化が絶え間なく混淆する現代にあって,人々は,ともすれば異文化を"異常"とみなして排斥しがちである.「多文化をいかにして共存させるか」という問いは,人類揺籃のときに発され,古代ギリシャで発され,中世のヨーロッパ・中東で発され,そして現代でもまた発され続けている.

 

(2)国際社会におけるごちシコ

いうまでもなく,ごちうさは日本で生まれたコンテンツである.しかしながら,この偉大なカルチャーは,あっという間に世界中に普及した.

ごちうさの特徴は,なんといっても登場人物がことごとく尊いことである.まんがタイムきらら作品に共通して見られる事象ではあるが,その中でもごちうさが抜きんでて「尊い」のだ.「尊い」という感情は世界共通である.オーロラなどの自然現象,神が起こしたとしか思えないような奇蹟,巨匠の手になる名画など,心に崇敬の念を呼び起こす事象というものは,いつでも,どこにでも存在しうる.もちろんのこと,ごちうさは「美しい自然現象」であり,「神が起こした奇蹟」であり,「巨匠が全身全霊を込めた名画」であるごちうさが世界中に広まったことも,そういった共通の感情を考えれば当然だと言える.

エスノセントリズムは20世紀が生み出した魔物である.異文化を理解すること,更には異文化と交流することが,21世紀の課題である.そして重要なことであるが,ごちうさエスノセントリズムが称揚するところの自文化ではないごちうさは人類共通の文化基盤である.たまたま日本でごちうさが誕生したため,ごちうさは日本文化―"クールジャパン"思想に基づき世界中に強くアピールされる文化―であるかのように扱われている.しかし,繰り返すが,ごちうさは人類共通である.アメリカで生まれようと,フランスで生まれようと,モンゴルで生まれようと,ごちうさごちうさである.「尊い」という感情が具体化したもの,それすなわちごちうさである.

人々の国境を超えた結合は,古来こいねがわれてきた.E.カントによれば,国際的な連合の成立こそ,人類が最終的にたどり着く社会の形態である.ごちシコを通じて人々が共通の博愛心を持ち,互いの文化に理解を持つ世界こそ,人類が目指すべき未来ではないだろうか.ごちシコが人々の間でいわば「接着剤」としての役割を果たせることは論をまたない.

科学技術の進歩により国際化の度合いを深めていく世界において,ごちシコは更にその地位を高め,世界共通の行為としての地歩を固めていくだろうと考えられる.「未来の社会とは,ごちシコの社会である」.これが本章の結論である.

 

あとがき

これまで,四章にわたり,ごちシコを倫理学的視座から考えてきた.一つの思想に拘泥することなく,複数の思想を概略的に捉えることに努めた.本テキストでの考察により,ごちシコが一文化としての地位を与えられることを期待している.

なお,本章を執筆するにあたり,第一章から第三章までの文章を見直し,不十分だと思われる部分を訂正した.今後とも,賢明な読者諸氏の指摘を受け,テキストをよりよいものにしていきたい.