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ごちシコの倫理#2 功利主義とごちシコ

まえがき

前章では,ヘレニズム哲学の視座からごちシコを肯定した.本章および次章では,より近代的な哲学思想である功利主義と義務論の立場からごちシコを考察する.前章で触れたヘレニズム哲学と,これから論述する功利主義哲学との間には,約二千年もの時間的距離が存在する.

もちろん,その間の人類が哲学を捨てていたというわけではなく,中世にもれっきとした哲学思想は誕生している.しかし,中世哲学は,キリスト教の影響を大きく受けており,ごちシコが受け入れられる余地はない.キリスト教徒がごちシコを「邪淫」とみなし排斥していた時代の思想をもとにごちシコを擁護することは難しい.そもそもにわかなので中世哲学がよくわかっていない.数ヶ月前概説書を読んだが,トマス・アクィナスのあたりで完全に無理になった.したがって,中世哲学とごちシコとの連関を述べることは避け,いきなり近代哲学に触れることとなった.

前置きが長くなってしまった.本章で触れる功利主義哲学は,現代においても盛んに論じられる哲学思想である.たとえば,D.ベネターが功利主義の立場から反出生主義を唱えている.現代社会におけるごちシコの地位向上のためにも,功利主義哲学に基づきごちシコを論ずることは有用であると信ずる.

Ⅱ:功利主義とごちシコ

(1)功利主義とは

功利主義ベンサムやJ.S.ミルらによって唱えられた近代哲学思想である.ストア派と同時代に生まれたエピクロス派との共通点も多い.思想の根幹をなす主張として,快楽計算に基づく「最大多数の最大幸福」の実現が挙げられる.より簡単に言えば,「きもちいいことは善いことである」ということになる.
ここで重視すべきなのが,快楽とは必ずしも肉体的(動物的)快楽を指すわけではない,という事実である.ミルによれば,知的活動や芸術鑑賞から成る人間的快楽は,食事や睡眠,性行為や名誉の獲得から成る動物的快楽よりも「質的に優れている」.この考えは,ミルの有名な格言によって端的に示されている.

満足な豚であるより,不満足な人間であるほうがよい.満足な人間であるより,不満足なソクラテスであるほうがよい.

 

(2)功利主義とごちシコ

人間的で高尚な快楽を尊ぶミル流功利主義において,ごちシコは悪とみなされるのだろうか?答えは否である.なぜなら,ごちシコこそが最も優れた人間的快楽であり,知的活動であるから.

ごちシコは性的なオルガズムを生み出す.これは確かに事実である.しかし,ごちシコは多分に芸術的側面を備えている.ミロのヴィーナスを見て感嘆のため息を漏らすことは,人間的ではないのだろうか?モナ・リザを目前にして,その美しさにうち震えることを,動物的で悪しき行為だと非難する人が果たしているだろうか?同じように,ごちうさ絵は芸術作品であって,それを見てシコることは芸術鑑賞の一環なのである.これが人間的快楽でなくて何なのか.

ごちシコはまた,少数派の快楽にとどまらない.ごちうさ絵は世に広まっており,しかも安価で入手できる.ごちシコ者による布教と伝授を通じて,ごちシコは全人類が日常的に行う行為になる.多数の人間が,ごちシコという人間的快楽を味わうのである.「最大多数の最大幸福」という目標を,もっとも迅速かつ高度に実現する唯一の手段がごちシコなのである.

 

(3)おわりに
以上,功利主義哲学の立場からごちシコを論じた.ごちシコはやはり尊かった.次章では,功利主義哲学と対立する思想である義務論にもとづき,ごちシコを考察する.