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ごちシコの倫理#1 ヘレニズム哲学とごちシコ―ストア派哲学を例に―

まえがき

ごちシコは気持ちいい.これはなんぴとの力をもってしても動かしがたい事実である.しかし,ごちシコが社会的な理解を得られていないこともまた事実である.ごちシコに文化としての位置を与えるためには,ごちシコを研究することが要求される.そうでありながら,ごちシコに関する総合的,概略的な研究は試されこそすれ,ごちシコを哲学的に理解する試みは今まで全くされてこなかった.本テキストは,哲学史的な観点からごちシコを捉えることで,ごちシコ界に哲学の光を導入しようとする目的のもと執筆された.

本テキストは,「#1 ヘレニズム哲学とごちシコ―ストア派思想を例に―」「#2 功利主義とごちシコ」「#3 義務論とごちシコ」「#4 現代思想におけるごちシコ―国際主義を念頭において―」の各章から成り立つ.4つの視点からの考察を通じて,ごちシコ者が哲学を知り,哲学者がごちシコを嗜み,ごちシコを認める空気が社会に醸成されるならば,望外の喜びである.

なお,本テキストでは,ごちシコを「Koi絵でシコること」と定義する.同人誌を含む二次創作でシコることはごちシコに含まれないものとする.あらかじめ「シコ」を前提としたコンテンツに触れ,「作為的なごちシコ」を享受するのではなく,「心の底から沸き立つごちシコ」こそが真のごちシコであるという観点に立つ.

Ⅰ:ヘレニズム哲学から見たごちシコ―ストア派哲学はごちシコを容認するか?

(1)ごちシコと自然

西洋文明揺籃の地であるギリシャにおいて生まれたストア派哲学は,自然との調和,禁欲,平静などを根本教義としている.そのため,ごちシコとストア派哲学は相容れないと考えてしまうかもしれない.しかしながら,ごちシコの根底をひもとけば,実はごちシコこそ真にストア派的な行為であるとわかる.

ストア派が禁じている「欲望をもつこと,道徳的に腐敗すること」とは,「自然から逸脱すること」と言い換えられる.たとえば,食事することは,自然から逸脱していないうち(空腹を解決することのみを目的としてなされるうち)は「善いこと」である.しかし,舌を喜ばせること,下腹部を必要以上に満足させることが目的となった途端,食事は「悪いこと,悪徳」となる.

食事の例と同じように,ごちシコもまた自然から逸脱しない限りは「善いこと」なのである.ごちうさ絵を見た瞬間,自らの意志とは関係なく性欲が沸きだす,という経験を,読者も一度はされていると思う.つまりごちうさ絵でシコることは,道徳的腐敗でもなんでもない単なる生理現象なのだ.お腹が空いたからご飯を食べる,眠いから寝る,ごちうさ絵を見たからごちシコする,全て同じことである.

イギリスの作家ジョージ・オーウェルは,代表作『1984年』のなかで,まったき知性の人であるオブライエンをして,次のように語らしめている.

高いところから真っ逆さまに落ちるとき、ロープをぐっとつかむことは少しも臆病ではない。深い水の底から上がってきたとき、肺いっぱいに空気を吸おうとすることは決して臆病ではない。つまりそういう行動とは単に、どうにも抗うことのできない本能なのだ。

オーウェル流に言えば,「ごちうさ絵を見たとき,沸騰する性欲を処理することは少しも退廃ではない」ということになる.

 

(2)性的とはみなし難いごちうさ絵でシコることは退廃か?

ごちシコが自然な本能であるという論述はだいたい終了した.だが,ストア派哲学者の激しい攻撃からごちシコを擁護するには,まだ論が不十分である.「性欲をいっさいかきたてない絵,具体的には肌の露出が皆無のKoi絵でシコることは,自然からの逸脱ではないのか」という類の批判に答えておく必要がある.以下に批判への回答を示す.

われわれがなんらかの物体を見るとき,われわれの脳は物体を2つの側面から理解する.2つの側面とは外観と内容である.たとえばリンゴは,「赤い球体」という外観と「甘くて青森県とかで大量に採れる果物」という内容を持っているからこそ,リンゴたりうるのである.これに照らし合わせてみれば,ココアちゃんは脱いでいようが厚着していようがココアちゃんである.厚着しているココアちゃんでシコることは全くやましくない.そもそも脱いでないココアちゃんも十分に性的である.シャロちゃんだってヴィーナスの5000兆倍は美しい.ボッティチェリは現代に生まれなかったことを後悔しているに違いない.リゼちゃんは神.

 

(3)おわりに

以上,ごちシコがストア派的価値観からも十分に受け入れ可能であることを簡単に述べた.21世紀の日本においてもなお,ストア派哲学は多大なる影響を持っている.たとえば「ストイック」という単語はストア派哲学から来ている.ストア派哲学とごちシコとの調停が,「善い」生き方,「自然な」生き方を追い求める日本人の心理的ごちシコハードルを下げることに繋がると確信している.